親愛信託の必要性を感じたこと

先日、私の地元に家族と帰省した際に感じたことと親愛信託の必要性を記します。
父方の祖父に会いに行ったときのことです。
昨年の6 月に祖母が亡くなり、それから祖父は1人で身の回りのことをしています。
今まで祖母に任せっきりだったこともあり、当初は慣れなくて大変だったそうです。
近所に⾧女が住んでおり、助けも借りながら生活し、だんだん身の回りのことも慣れてきま
した。
身の回りのことも慣れないうちは大変だったそうですが、何よりも話し相手がいないとい
うことが辛いということでした。
祖父の言葉で印象的だったのは、結婚には覚悟が必要、ということです。
遅かれ早かれ、いつか人は死ぬ、と頭では分かっていても、
日常を過ごしていく中でそのことを常に意識できている人は多くないと思います。
今回、祖父に会って話したことで将来のことを念頭におくこと、できうる対策はなるべく早
く行うこと、を意識していくことが大事だと感じました。
親愛信託や生命保険を考えることは人生を考えることと同じと思います。
日本においても人生を考えるという意味合いで親愛信託が普及することを願います。
また、母方の祖母に会いに行ったときのことです。
祖母は数年前から認知症という状態でした。
私たちが訪れた際には祖母は要介護5ということで、
デイサービスから帰ってきた祖母を同居の叔父と一緒にサポートしながら
なんとか椅子に座らせたのですが、それだけでも大変でした。
祖母は孫である私の顔を見ても話しかけても反応は鈍かったのですが、目の光を見る限り
分かっているのだな、というふうに感じました。
また、私の娘の手を祖母に差し出した際に、祖母はひ孫の存在を分かっていると確信しまし
た。祖母は娘の手を、それは、それは優しい指づかいで触れるのです。
本当に大事なものを扱うような、確かめるような指づかいで。
分かっているけど、それを表現するのが難しい。
認知症となると意思表示は難しくなりますが、たしかに分かっている。
祖母の想いを感じ取ることができました。
想いがあっても表現できない。もしそうなったとしても、せめても想いを叶えてあげる為に
も、親愛信託が必要なケースはあると思います。
親愛信託は単なる認知症対策ではありません。
なぜ親愛信託というのか。
そこには単なるスキームではない何かがあるはずです。親愛信託の専門家や関わる人間は
常に念頭に置く必要があります。
私は生命保険の専門家として、よつばの仲間と共に相互研鑽し、親愛信託や生命保険によっ
て相談者の想いの実現に寄与して参ります。


一般社団法人よつば民事信託協会大阪 理事 新井勇樹

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